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フェイント



 高校時代からの友人に、誕生日プレゼントを貰った。
彼は小学校の頃からサッカーをやっていて、だからだろうか。スパイクが贈り物だった。
「あのさ」
 煙の立ち込めたHUBで僕は困ったように言う。
「手に入れるの苦労したよ。イングランド製」
「まあありがたいんだけどさ。ほら」
「なに」
「サッカーできないんだよね。僕は」
「ああなるほどね。でもそれってシティ用だから」
 大学の誘致を繰り返してきたこの町は、こういった安酒場は妙にうるさい。
未だに一気飲みをする若者がいることに驚くばかりだった。
「シティってあれ? 街でってこと?」
「だよ。この靴のすごいのはさ」ここで金髪の男が嬌声をあげる。
「はい?」
「いやね。すごいのは常人離れしたフェイントができることなんだよ」
「へえ」
「信じてないだろ」
「まあね。だって僕はサッカーできないし」
「西田敏行みたいなセリフばかり言うなよ」
「なにそれ」
「なんでもないよ」

 気が進まなかったが、僕はその靴を履いて街へ出た。
こつこつとアスファルトを刻む音は心地よかったが、どうにも服装に合わないようにも思えた。
ところがだ。スピードを緩めずに路地を曲がってきた車を、無意識のまま不思議なステップでかわす事ができた。
左足が後方に引っ張られ、それを軸に体ごと反転して回避したのだ。
これほどの敏捷性が僕に秘められていたのか、それともこの無骨な靴のせいなのか。

 いくつか特筆する出来事が起こった。
歌舞伎町を酩酊して歩いていた夜半のこと。
前方から見た目の凶悪さならサファリパーク以上な男たちがやってきて、
これまた運悪く「ガンを飛ばした」などといちゃもんをつけられたことがあった。
願を飛ばしたい気分だったが、そんなつまらないジョークは通用しない。
血気盛んで少し献血でもしてきたほうがいいと思われる最年少が僕の胸倉をつかみ、
いや、正確にはつかもうとして、次の瞬間僕は彼の背後に回っていた。
ここでも意識しない不可思議なステップで、これは文字には現せない。
なぜなら僕自身、どんな足取りで彼の背後に回ったかすら分からないからだ。
とにかく男たちがいくら僕を捕まえようとしたところで、僕の体はボクサーのように、
いやいやそれ以上の身のこなしでフェイントをかけていくのだ。
まさに天性のドリブラー。小太りなマラドーナを思い出した。

 その日、お台場に僕はいた。
今から思えば、なぜこんな日にこのサッカーシューズを履いてきてしまったのだろうかと悔やむ。
そろそろ結婚を申し込もうと考えていたユカリと、お台場のクルーズ船に乗ったのだった。
彼女はその晩も美しく、なによりも端正で彫りの深い顔立ちにやや太めな二の腕というアンバランスが僕の好みだった。
僕は数週間かかって高くもなく、それでいて陳腐でもない指輪を、もちろんユカリに良く似合う指輪を懐にしまっていて、
青い光が散りばめられた街が遠くに見える船の上で、ひとしきりタイミングを狙っていた。
「あのさ」
「なあに」
「これ」
「あ」
「いやね」
「ありがとう。どうしてどうして?」
「いやね」
「うれしすぎる」
 そんなやり取りがあって彼女は小さな小さなダイヤの指輪を、薬指に通してくれた。
この瞬間の喜びといったらなかった。
自慢げに手の甲を僕にかざし、ユカリは美しい笑顔のまま僕に身を寄せてきた。
それは完璧なフェイントだった。
僕の足は華やかにステップを刻み、体を預けてきた彼女を見事にかわしたのだ。
勢いあまったユカリは夜の海に転落し、その暗黒に落ちていく刹那、薬指のダイヤがかすかに光ったことを、僕は今でも覚えている。

 
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by Your_sea | 2006-07-22 10:00