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狂気の左サイドバック

左利き男性は、右利き男性よりもお金を稼ぐことが明らかに | Excite エキサイト





 左利きの人々なら共感してもらえると思いますが、かつて幼少時代、左利きというと親に幾度も怒られたものです。箸を持つ手をぴしゃりと叩かれ、まるで醜いものでも見るかのような眼差しを向けられるのです。
 なにか強烈に悪いことをしているのかもしれない。そんな被害妄想にとらわれたものです。しかし正直なところ左手で物を操るのはとても楽だったし、どれだけ考えてみても左手を使う事がいけないことだなどとは思えないのでした。
 中学生になったころでしょうか。イスラム教では左手は不浄なものとして、握手どころか物を渡すのもいけないという事実を知りました。
そのころからでしょうか。左利きというものがどれほど世の中に迎合されていないかを知ることになりました。

 例えばエレベーターの押しボタン。どこもかしこも右利き専用にできています。
自動改札だってそうです。右利きの人々には分からないかもしれませんが、あの小さな隙間に小さな小さな子供銀行の千円札より小さな切符を右手で通すのは至難の業です。
 ゴルフだってそうです。右利き専用のクラブに比べると、左利き用のものは多種多様とは到底言えません。これではわたしが徐々に醜くなっていく横み、いや、某選手に勝てないのも仕方ありません。
 包丁なども不便です。説明も不要かと思います。バイクのアクセルもなかなか厳しいし、車も結構難しいんですよ。計量カップだってなかなか残酷なものです。クラス中から無視されるよりはましですが、食事時に長州小力を見るよりはつらいです。
 楽器はもちろん、切実なのは缶切りです。左利き用のものもありますが、それに出会うまではきっと大地震が起きたら缶切り忘れたーとかベタな展開以前に、空けられずに死ぬんじゃないかと怯えていました。
 
 左利きは寿命が短い、という研究がかつてなされていました。
真意のほどは分かりませんが、少なくとも世の中が右利き用にできていることからして、左利きの人間が事故に合う確率は右利きよりも多いといえましょう。
 
 リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子で考えてみると、遺伝子は自己の複製子を最も多く残す可能性の高い戦略を取るということであります。単純に考えると、これだけ不利な左利きはいなくなってしまうことになるのではないでしょうか。しかし実は遺伝子はそれほど利己的ではなかったということをウイリアム・ドナルド・ハミルトンは包括適応度という概念で、生物の「利他行動」を説明しています。働きバチや働きアリは、自分では卵を産まず、女王の産んだ卵の世話をするが、このような自分の適応度を高めるうえでは不利としか思われない「利他行動」は、長い間進化的説明が困難でした。左利きが右利きの生存と繁殖を助けるという利他行動のために存在するとはいえないでしょうから、さほど左利きへの淘汰がないものと考えていいのかもしれません。単なる生命の多様性というか、要は左サイドバックは「狂気の左サイドバック」と言われた都並以降、なかなか現れていないという結論にしましょう。

 なんの話でしょう。

 ということで、サッカーを見てみれば左利きの重要性は増すばかりです。
いつの間にか左利きは、単なるマイノリティではなく、貴重な戦力となっているのです。

 で、結局どんな結論だったのでしょう。






 ちなみにわたしは右利きです。
# by Your_sea | 2006-08-14 20:30

上昇するエレベーター



 エスカレーターを昇りきると、今まで天井が低く閉塞的だった空間が一気に開ける。
併設されている図書館から本を借りてきた人と、クーラーの効いた場所を求めてやって来た受験生たちでテーブルは埋まっている。
小さなテントが張られた片隅では、コーヒーと紅茶を売る店がある。
 僕はアイスコーヒーをふたつ注文して、眼下に街を見下ろせるカーテンウォールに額をつける。
おもちゃのように行き交う車を見つめながら、苦味の利いたコーヒーを飲み干す。
脇のベンチが空いたので、そこにもうひとつのコーヒーを置く。左の掌は溶けた氷のおかげで、冷たく湿っていた。
 ちょうどあの人の掌を思い出す。温かくもなく冷たくもなく、ただひたすらに柔らかい掌だった。
黒い影が空を横切るのだが、どれだけ目を凝らしてもそれがカラスの群れなのか、それ以外の鳥たちなのかわからない。
 そして空は夏色で、僕は夏から取り残されたままコーヒーの苦さに眉をしかめる。

 ちょうど五年前に、僕はここにいた。
言い方を変えれば、ちょうど五年間、僕はここへ来なかった。
隣にはあの人がいて、フロアの奥まった場所にある蕎麦屋に入った。
蕎麦しかない店で、あの人はずいぶんと迷っていた。何を迷っているのかと尋ねれば、「天ぷらにしようかシンプルにタヌキ蕎麦にしようか迷っちゃって」と笑った。
僕は生ビールをふたつ頼んで、乾杯をして閑散とした店内を見渡して、それから悩んだときにこめかみを指先で突くあの人の仕草を眺めて、これ以上ない平和な午後を実感していた。
「南と北。さあどっちに住みたい?」
 やっとのことであの人は天ぷらそばに決心を固め、唐突にそんな質問をした。
「南かな」
「なんで?」
「海があるでしょう。釣りをして食材を得るよりはただ美しい海で泳ぎたいって思うんだけど、そういう海は南にしかないような気がする」
「同感」
 それから僕らはビールをお代わりして、あの人は半分以上の天ぷらを僕に引き継いだ。
「とんでもなくお腹が空いていて、まさしくこの天ぷらこそ胃袋を満たすんだけど、ちょっと胃がわがまま言ってる」とあの人は笑った。何度も見てきたつもりだったけど、考えてみるとあの人を正面からじっくりと見ていたのはその日が初めてだった。
 太陽がビルの間のどこかに沈みかけていて、世界はやや赤味を帯びていた。あの人の白い肌もやや赤味を帯びていて、僕は慌てて周囲を窺った。なぜだろう。なんだか自然の摂理に従って、あの人がこの大気に溶けていってしまうように感じたのだ。

 小さな声で子どもを注意する母親と、目が合った。
その子どもは上下する透明なエレベーターに歓喜の声をあげていて、手に持ったパンを振り回している。
「ほうらちゃんと座って食べなさい」
 何度か母親は繰り返した。僕もつられてエレベーターを見つめた。不思議と、上昇する人々の方が、下降する人々よりいくらか幸せそうに見えた。
 例えば僕は五年前ちょうどこの場所にいて、いくらか今よりも寂れていた街並みを見下ろして、しかし今よりもきっと幸せそうな顔をしていたのだと思う。扉が開いたときに広がる光景を予測しながら、そしてあの人と過ごす次の瞬間を感じながら、未来を信じていたのかもしれない。
 片隅にあった蕎麦屋は、予想はしていたのだが、今はなかった。
目を閉じて思い返してみる。白い割烹着を着た女性に案内されたのは、たしか入り口から三つ目のテーブルで、メニューは表紙が木製で閉じ紐がほどけかけていた。華やかなあの人にはなんとなく似合わない雰囲気だと、僕はちょっと困ったことを覚えている。
 あの人は隠し事がばれたかのような照れ笑いをして、いつものように几帳面に手を拭いて、それから。それからどうしたのだろう。
 ゆっくりと目を見開いて、無国籍料理とのぼりの掲げられた店を見ながら考える。
長い時間が過ぎてしまったが、その日はきっと世界は穏やかで、エレベーターは希望に顔をほころばせる人々を運んできて、ビルの外のさらに向こうにある世界は、それは未来と置き換えてもいいのかもしれないが、きっと祝福に満ちていたのかもしれないと、そう思う。
# by Your_sea | 2006-08-12 22:27

太陽光を便器にかえる




そんなソーラーパネルがあってもいいのではないかと思う日付変更線上のアリアです。
バッハの「G線上のアリア」はビールに合うんじゃないかと、今思いました。
この曲はバッハが亡くなって百年近く経ってから編曲され、世に浸透していくのでした。


こちらで聞く事ができます。


通して聞いてみるとビールじゃなくてワインかな、なんて思ったり思わなかったり。




さて。こんな時間に餃子です。
餃子に関しては100人いれば102通りくらい作り方が違うもので、
それぞれこだわりがあるものですね。

・餃子を包むとき、ひだひだをつけるか、否か。

・最初に焼き色がつくまで炒めるか、否か。

・炒めるとしたら胡麻油かサラダ油か。

・注ぐのは熱湯か冷水か。

・仕上げに胡麻油を投入するか、否か。

・ここは田舎か否か。

 そんなところでしょうか。
わたしは極めてオーソドックスに作ります。
まずはアンパンマン色になるまで下部に火を通し、熱湯を注ぎます(餃子の1/4くらい)。
蒸して蒸して蒸しパンマンにしたら(蒸しが甘いとトレパンマンになります)、
胡麻油を注いで水気を飛ばします。
具材もオーソドックスですが、海老を叩いて加え、野菜はやや多めにします。

 あとはお酢を中心にしたタレにつけて召し上がります。



太陽光を便器にかえる_c0082771_0171238.jpg




 夜間の餃子は背徳的な美味しさです。
そのカロリーと翌朝に残るであろう香り。
あなたも今夜は餃子と心中してみてはいかがですか?
# by Your_sea | 2006-08-11 00:17

餃子と三日月ランデブー

おおらかだった時代の「理科」の本を読む | Excite エキサイト




 本当におおらかですね。
ある種ユーモアも感じます。科学が発展しているからこそ、こんな回答もありなんじゃないかと思ったりもします。
ということで今日買ってきました。
熟読するとなかなか興味深い内容です。ご紹介します。



「塩は海ですか?」


A. いいえ佐藤くん(佐藤くんが誰なのかは不明)。海は塩ではありません。
 塩が海なのでもありません。
 なぜならば、干物が売れなくなるからです。


 とこうきました。
なかなか我々の真意を突いてきます。
こんな質問もありました。



「宇宙はどれくらい広いんですか?」


A. 2LDKよりもひろいんです!



「やくみつるは何のちゅうどくなんですか?」


A. はなまるしか仕事のないやくまるくんをごらんなさい。彼は奥様ちゅうどくです。
 おのずとやくみつるの症状もわかるでしょう?



 かなりブラックなのかそうでもないのか不明な回答が目立ちます。



「村上ファンドと村上サンドはどちらがおいしいですか?」


A. サンドに決まってるだろう。



 急に怒ってしまう回答もあります。上記は254ページ中段にあります。
これにはやや驚きました。村上サンドに美味しさ軍配が上がるのは同感ですが、ちょっと厳しいですよね。



「オシムジャパンはつよいですか?」


A. 「2点勝っているけれど、まだ試合には負けていない」



 わかるようなわからない回答です。
さらに駄目押しのような駄洒落でしめています。



「イエメンのサッカーはともかく、イケメンでないことは確かだ」



 さらにわかりません。
こうなってくるとこの本の虜になってきますね。



「愛情ってなんですか?」


A. 30年ローンで買ってしまった形のない負債。たいてい夫妻になっちゃう。




すべてフィクションですのでご了承ください。
# by Your_sea | 2006-08-09 21:26

チグーミ



 チグーミが流行り出したのは半年前のことだ。
はじめは渋谷あたりの高校生から発信されたという噂が主だった。
しかし実際のところは、西新宿のオヤジたちが広めたという噂もある。
でどころが分からないくらいに、チグーミは急速に広まった。

 やや遅れを取ったが、僕も今日チグーミを手に入れた。
手のひらほどの大きさで、恥ずかしがりやだからすぐにポケットに逃げ込んでしまう。
きゅうきゅうと小さく鳴くところが、なんとも可愛い。
お腹がすくと小さな鼻を出してきて、ふにふにと周囲の匂いをかぐ。その仕草がまた可愛い。
それから様子をうかがいつつ、頭を出してきて、黒目がちの目で周囲を窺うのだ。
僕は人差し指だけで頭を撫でてやる。意外に弾力のある体毛が心地よい。

 チグーミが誰しものポケットに入るようになってから、ずいぶんと社会は変わったと思う。
例えば電車だ。
「ご乗車中はチグーミを離さないようお願いします。餌やりなど離す場合には、デッキでお願いします」
そんな放送があたりまえになった。
チグーミはソーセージだとかゆで卵を食べる。小さな頭を小刻みに揺らして齧りつく姿は、朝のラッシュにあっても人々を和ませる。

 彼女は僕よりもずっと前にチグーミを飼っていた。
まだ三度目だったろうか、緊張ばかりのデートのときに胸元から飛び出てきたチグーミに、僕はのけぞってしまったものだ。
「あのねあのね。名前付けちゃった」
「へえ。珍しいね」
「あのねあのね。ちび」
「へえ。そのままだ」
「うん。そのままー」
 彼女は笑って、チグーミの頬を指で撫でた。その小動物はくすぐったそうに身をよじって、その仕草があまりにも可愛かったので、僕も買ったのだ。

 僕はチグーミに「バロン」と名付けた。
ちょっとお堅いかなって思った。まあしかし、上司は「エニグマ」とか付けているし、要はなんでもありなのかなって思ったのだ。
ミニペットというのが売りだったチグーミだったが、どうやら我々は予想以上に依存してしまったようだ。
どこにいくにもチグーミがいなければ不安になってしまう。
常に時間を気にして、何度も何度もチグーミの様子を窺ってしまう。彼らの寿命は二年程度で、死を迎える前にチグーミ変更をするのが主流だ。
残酷と思うかもしれないが、誰だって毎日一緒に行動を共にするチグーミの死を見たくはない。
だから寿命が切れる前に新しいチグーミと交換するのだ。

 僕のチグーミと彼女のチグーミは、とても仲が良かった。
あれは横浜の山下公園だったろうか。真っ黒な海が眼前に広がっていて、僕らはベンチに腰掛けていた。
僕の胸ポケットからチグーミが頭を出して(こいつは僕の胸ポケットが好きで、おかげで煙草を辞められた)、呼応するかのように彼女のチグーミがハンドバッグからひょっこりでてきた。
まるで出会った頃の僕らのように、ゆっくりと、もどかしく二匹のチグーミは近づいていった。
僕の腕をゆっくりと伝っていバロンと、彼女の首周りを一周してから照れくさそうに腕を伝っていく「ちび」。
僕らはくすくす笑いながら見守った。
どこかにある船が汽笛を鳴らして、ちょうど雲間から月が見えた。大きな月だった。
それからのことは、早回しのようであまり記憶にない。
僕のチグーミが危うげなバランスのままちびに近寄って、我々の顔に花のような笑みが咲いたと同時に、ひと噛みでちびの首が失われた。

 彼女の指先から手首にかけて一筋の血が流れて、それはまるで彼女自身から流れる血液のようだった。
僕は衝動的にバロンを掴むと、ベンチの縁に叩きつけた。
ちびの首がぽろりとこぼれ落ちて、やはりそこにも小さな小さな血の滴が流れ落ちた。
彼女はもう何も言葉を発することもなく、ベンチを後にした。
小さな手にはちびの亡骸が握られていて、何か言葉をかけようとした僕は、再び夜空を横切る汽笛に、存在ごとかき消されてしまった。
# by Your_sea | 2006-08-07 21:46